大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山形地方裁判所酒田支部 昭和56年(ワ)23号 判決 1985年1月31日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 拓賢二

同 山下俊六

被告 合名会社 甲野太郎

右代表者社員 乙山七郎

右訴訟代理人弁護士 堂野達也

同 堂野尚志

同 士方邦男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告合名会社甲野太郎を解散する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨。

第二当事者の主張

一  (原告)請求原因

1  被告合名会社甲野太郎(以下「被告会社」という)は、原告および乙山七郎(以下「乙山」という)の二名の社員によって構成され、酒類の醸造、販売等を目的とする合名会社である。

2  原告と乙山とは、被告会社経営上の根本方針についての意見が対立し、相互の感情的対立、不信は既に抜くべからざる状態になっており、乙山は、原告が被告会社の業務執行に従事することを拒絶し、妨害しており、また、社員の過半数をもってする会社の業務執行は不可能となっており、被告会社は、既にその会社としての機能を完全に喪失しているので、解散がやむを得ない事由が存在する。

その事情は以下のとおりである。

3  被告会社は、昭和九年一〇月二五日、次の六名を社員とし、うち甲野花子、甲野二郎を共同代表社員と定めて設立された。

(一) 甲野花子(原告の祖父甲野太郎の妻)

(二) 原告(旧名一男)

(三) 甲野二郎(原告の亡父甲野太郎の弟)

(四) 甲野四郎(原告の亡父の弟)

(五) 甲野五郎(原告の亡父の弟)

(六) 甲野六郎(原告の亡父の弟)

4  原告の亡父甲野太郎が昭和三年一一月一七日死亡するまでは、代々甲野家の家督相続人が個人で酒類醸造、販売業を営んできたものであり、原告も家督相続により宅地、居宅、工場、倉庫、醸造用機械器具類および営業権を承継取得したので、右家業を継ぐべきであったところ、甲野花子、甲野二郎らは、原告が当時未成年であったことを奇貨として、相謀って原告の母甲野春子をして右財産の管理を辞させ、甲野二郎が自ら原告の後見人となり、右相続財産を全部現物出資させ、かつ、原告の亡父の遺産中の預金、債権等を右甲野花子らの出資金に充て、原告の右酒類醸造等の営業を奪って(現物出資の中に営業権は全く評価されていない)、被告会社を設立し、営業を開始した。

5  原告は、昭和一六年一二月旧東京帝国大学法学部を卒業し、在学中高等試験司法科試験に合格していたこともあって、旧海軍短期現役主計士官に任用され、昭和二〇年八月敗戦と共に家業に従事すべく肩書住居に帰宅し、翌昭和二一年二月一日甲野太郎を襲名し、被告会社設立の経緯から当然その代表社員に加えられるものと信じていたところ、これを拒否され、収入を得る方途に窮し、やむなく昭和二二年五月第一期の司法修習を経て、検事として身を立てることになった。

6  前記甲野六郎は、昭和一一年七月二三日死亡して被告会社を退社し、同年一〇月二五日前記乙山七郎(原告の亡父甲野太郎の弟、昭和一七年三月五日乙山家の婿養子となった)が被告会社の社員となった。

7  被告会社は、前記代表社員甲野花子および甲野二郎により営業がなされていたが、甲野花子が昭和二九年六月一〇日死亡して被告会社を退社すると、同年一〇月一七日被告会社の定款中代表社員の規定が削除され、甲野二郎も代表社員を辞し、業務執行社員の名目で被告会社の営業を継続していたところ、右同人は、昭和三〇年五月九日死亡して、被告会社を退社した。

8  右当時の残社員原告、乙山、甲野四郎、甲野五郎は、いずれも被告会社の本店所在地に居住しておらず、遠隔地でそれぞれの職業をもち生活していたが、原告以外の社員は数を頼み、右甲野四郎を業務執行社員とし、実質的には前記甲野二郎の長男甲野一夫に業務の執行を一任してきた。

8  その間、右甲野五郎は昭和四三年一〇月二七日死亡し、右甲野四郎は昭和四七年五月七日死亡し、それぞれ被告会社を退社した結果、被告会社の社員は原告と乙山の二名のみとなったのである。

10  そこで、原告は、もはや数の上で排除され得ない状態となったので、当時の丙川地方検察庁次席検事の職を辞して被告会社の経営に当ろうと考え、乙山に対しその旨諮ったところ、同人はこれを拒否し、従業員である甲野一夫に業務を一任したい旨主張し、協議が成立しなかった。

11  原告としては、残社員二名の会社運営上の根本方針が真向うから対立するようでは、会社を解散せざるを得なくなることを配慮し、かつ、乙山も原告同様無限責任社員である以上、放漫な会社経営はしないであろうことを期待し、そのまま放置していたところ、昭和五二年五月頃、乙山が経営していた繊維関係の会社が倒産したこと、右同人の個人名義の資産は皆無であること等が明らかになったので、このまま放置しては、原告は被告会社の経営に参画することができず、責任のみを負うことになることが予想されたため、原告は、同年一一月一日当時の丁原地方検察庁検事正の職を辞し、帰郷して、被告会社の業務執行に自ら当ることとした。

12  ところが、乙山および甲野一夫は、原告に対し、被告会社の業務内容を極力秘匿し、会社事務室や倉庫等に施錠したり、他の従業員に対しても原告に業務内容を報告することを禁ずる等原告の業務執行権を妨害し、剰え多額の債務を無断で被告会社に負担せしめている模様である。

13  合名会社は人的会社中最も社員相互の信頼が重要視されるもので、二名の社員が協力して従業員を指揮監督し、業務を執行してこそ初めてその存在価値があるものであり、その一方の社員である原告の業務執行を拒否し、従業員にその業務を全面的に一任している現状では、既に合名会社として意味は全く失われ、会社は形骸化し、会社の名を藉りた従業員甲野一夫の個人企業が存在しているといっても過言ではない。

14  原告は、右の事態を是正するため、総会前に被告会社の取引内容、資産内容等を帳簿類を比較検討し、協議する機会を設けることを乙山に進言したり、甲野一夫に右の趣旨を指示したりしたことも数回あったが、両名より黙殺され、常に総会期日を指定し、既に作成された決算報告書の数字を示されるのみで、合名会社経営の実をあげることはできなかった。

15  そして、乙山は、原告に対し、被告会社に不満を持っているなら退社するよう主張し、被告会社の解散を容認しているうえ、被告会社は、昭和五九年一月一七日本件訴に対抗する手段として、原告に対し社員除名の訴を提起したのであり、結果的には解散を容認している。

16  以上の次第であり、被告会社には、商法一一二条所定の「已ムコトヲ得ザル事由」があるというべきであるから、原告は被告会社の解散を求める。

二  (被告)請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項は争う。

3  同第3項の事実は認める。

4  同第4項の事実中、原告の亡父甲野太郎が昭和三年一一月一七日死亡するまで代々甲野家の家督相続人が個人で酒類醸造、販売業を営んできたこと、原告が家督相続により宅地、居宅、工場、倉庫、醸造用機械器具類および営業権を承継取得したこと、原告が当時未成年であったこと、原告の母甲野春子が原告の右財産の管理を辞し、甲野二郎が原告の後見人となったこと、原告の右財産のうち先々代甲野太郎が酒造業のために用いていた財産を現物出資として、被告会社が設立されたこと、以上の事実を認め、その余の事実は否認する。

先々代甲野太郎は、創業者として専ら酒造業に従事していたが、先代甲野太郎は長ずるに及んで政治に興味を抱き、地方政治家として活躍するに至ったためか、先々代甲野太郎は、大正初頃、当時慶応大学に在学中の二男甲野二郎を中途退学させ、酒造業に従事させたのであり、先々代甲野太郎が大正六年一二月死亡後は、実際上は専ら同人の妻花子および弟甲野二郎が中心となって酒造業を経営してきたものである。

被告会社の設立についても、甲野家はもちろん、原告の母方とも協議を重ねた結果、右のような経営の事情の下に最善の途として、会社組織に改めたものである。

5  同第5項の事実中、原告が、被告会社設立の経緯から当然その代表社員に加えられるものと信じていたところ、これを拒否されたとの点は否認し、その余の事実は認める。

原告は、秀才で旧制甲田中学から乙田高等学校を経て東京帝国大学に進み、在学中高等試験司法科試験に合格し、少年時代から法律ないし政治の方面を志望していたので、原告の祖母花子、母春子その他親族ら協議の結果、甲野家の総財産から酒造業に付帯する財産のみを分離して、被告会社を設立するに至ったのである。

6  同第6項の事実は認める。

7  同第7項の事実は認める。

8  同第8項の事実中、「原告以外の社員は数を頼み」とある点を除く事実を認める。

甲野二郎は、酒造業を更に発展させようとして、長男甲野一夫を東京農業大学農学部に進学させ、卒業後は酒造業に従事させた。

9  同第9項の事実は認める。

10  同第10項の事実は否認する。

11  同第11項の主張は争う。

12  同第12項の事実は否認する。

13  同第13項の主張は争う。

被告会社の現実の運営は、乙山を事実上の代表社員とし、その指揮下に従業員である甲野一夫が支配人的立場で酒造の原料等の仕入れ、酒造の監督、商品の販売等に当っている。

原告は、昭和二二年より昭和五二年一一月一日までは検察官の職にあり、法的には被告会社の無限責任社員の地位にあること自体が問題であるうえ、実際的にも、三〇年間も公務員の地位にあったのであるから、酒造業の営業を現実に行ないうる経験、手腕、意欲はなかった。

このように、事実上業務執行に関与していなかった社員の一名である原告が、業務執行に従事している社員に対し合理的でない不満を持ち、被告会社の運営について非協力的態度、更には妨害的態度をとり、さりとて自ら退社することもしないからといって、商法一一二条所定の解散のやむことを得ざる事由があるとはいえない。

14  同第14項の事実は否認する。

15  同第15項の事実中、社員除名の訴提起の事実を認め、その余は争う。

企業維持の要請に照らし、原告が自ら退社することが本件事態の打開の途であり、二名の社員のうち一名が退社しても、商法八六条一項により会社の存続は可能であり、解散事由には該らない。

第三証拠《省略》

理由

一  被告会社は、昭和九年一〇月二五日設立された合名会社で、酒類の醸造、販売等を目的とし、現在、社員は、原告と乙山との二名のみであることについては、当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すると、次のとおりの事実が認められる。

1  被告会社の目的とする酒類醸造、販売等は、もと原告の祖父亡甲野太郎が個人事業として営み、その後、同人の長男で、家督相続した原告の父亡甲野太郎(旧名「一郎」)がこれを承継して営業していたところ、同人が昭和三年一一月一七日死亡した後、昭和九年一〇月二五日、亡甲野太郎の妻である亡甲野花子(原告の祖母)、その夫婦間の二男亡甲野二郎、四男亡甲野四郎、五男亡甲野五郎、六男亡甲野六郎および亡甲野太郎(旧名一郎)の長男である原告(当時一六歳の未成年者であり、母である甲野春子が財産管理を辞任したため、亡甲野二郎が後見人に就任していた)の六名を社員として被告会社が設立され、原告が家督相続により亡父甲野太郎から承継取得した営業用に供されていた土地、建物等は原告の現物出資として被告会社に譲渡され、被告会社が亡甲野太郎の前記酒造業の営業を承継するに至った。

被告会社が設立された当時、前記亡甲野花子および亡甲野二郎が共同代表社員となったが、その後、亡甲野花子が昭和二九年六月一〇日死亡して被告会社を退社すると、同年一〇月一七日被告会社の定款の代表社員の規定が削除され、亡甲野二郎が業務執行社員として被告会社の営業を継続していた。

その間、昭和一一年七月二三日、亡甲野六郎が死亡して被告会社を退社すると、亡甲野太郎、花子夫婦の七男である乙山が、亡甲野花子の持分を譲り受けて被告会社の社員となった。

そして、昭和三〇年五月九日亡甲野二郎が死亡し、昭和四三年一〇月二七日亡甲野五郎が死亡し、更に、昭和四七年五月七日亡甲野四郎が死亡して、それぞれ被告会社を退社した結果、被告会社の社員は原告と乙山の二名のみとなるに至った。

2  原告は、旧制乙田高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業し、海軍主計士官に任用され、戦後、昭和二〇年八月復員して生家へ戻り、昭和二一年には父を襲名すべく、名を「一男」から「太郎」に変更したが、結局、被告会社の営業には従事することなく、昭和二二年司法修習生に採用され、検察官に任官し、昭和五二年一一月一日辞職するまで検察官の職に就いていたため、被告会社の社員の地位にあったにもかかわらず、その会社の業務執行に従事したことはなかった。

3  前記のとおり、亡甲野花子が死亡後は、亡甲野二郎が被告会社の業務執行に従事していたが、その事業の後継者にするため、自己の長男である甲野一夫を東京農業大学農芸化学科へ進学させた。亡甲野二郎が昭和二八年頃病気入院すると、東京農業大学を卒業後国税庁醸造試験所に就職していた甲野一夫が、退職して、被告会社において従業員として働くようになり、昭和三〇年五月九日父亡甲野二郎が死亡すると、当時の残余の社員である原告、乙山、亡甲野四郎、亡甲野五郎は、いずれも被告会社の本店所在地に居住せず、それぞれ遠隔地において各人の別個の職業に従事していたことから、従業員である右甲野一夫に被告会社の日常の業務の執行を委任していた。

その後、昭和四四年頃、被告会社の社員総会において(当時の社員は、原告、乙山および亡甲野四郎)、甲野一夫を被告会社の社員に加えるため、同人に社員の持分を譲渡することが審議されたが、原告の承諾が得られなかったため、甲野一夫は、被告会社の社員の地位を取得することができないまま推移した。

4  そして、昭和四七年五月七日、亡甲野四郎が死亡し、被告会社の社員が原告と乙山との二名のみになると、乙山が事実上業務執行を行なう社員として、日常の業務執行を甲野一夫に委任し、甲野一夫は、被告会社代表者乙山の名義で被告会社の手形、小切手行為、銀行取引その他商取引等被告会社の業務を遂行するようになり、乙山は、甲野一夫から決算期毎の決算報告のほか、重要な取引等について適宜報告を受け、或いは同人と協議する等していた。他方、原告は、各決算期の社員総会の通知を受けても、出席しないことがあり、出席したときも、決算報告書の内容の正確性を確認しうる資料がないとして、決算報告書を承認しない旨の意思表示をするに止まった。

5  以上の事実が認められ、右認定を左右しうる証拠はない。

三  原告は、被告会社の社員である原告と乙山とは会社経営上の根本方針について意見が対立し、相互の感情的対立、不信は既に抜くべからざる状態になっており、乙山は、原告が被告会社の業務執行に従事することを拒絶し、妨害しており、また、社員の過半数をもってする会社の業務執行は不可能となっており、被告会社は既にその会社としての機能を完全に喪失しているので、解散がやむを得ない事由が存在する旨主張するので、以下検討する。

1  まず、被告会社の経営方針に関する原告と乙山との意見の対立について検討すると、原告は、前記認定のとおり、復員後昭和五二年一一月一日辞職に至るまで検察官の職にあった関係から、被告会社の社員としてその業務執行に従事することができなかったのであり、特に、昭和四七年亡甲野四郎死亡後は、乙山が実質的に業務執行権を有する社員としての地位を有していたものと認められるところ、本件全証拠を精査しても、原告が後記のとおり昭和五一年ないし昭和五二年頃乙山に対し被告会社の解散を主張するまでの間に、被告会社の経営方針に関し何らかの意見を呈示したことおよび乙山との間で意見の対立が生じたことを認めうる証拠はない(もっとも、前記のとおり、原告が、被告会社の決算報告書を承認しなかったことがあるが、《証拠省略》によれば、右不承認も必ずしも具体的な理由や疑問を示したものではなかったと認められるので、これをもって被告会社の経営方針をめぐる意見の対立とまで見ることはできない。)。

《証拠省略》中には、原告は、昭和四七年五月七日亡甲野四郎が死亡後、検察官を辞職し、乙山と共に被告会社の業務に従事することを決意したが、乙山がそれを承認しなかったため、右決意を実行するに至らなかった旨の供述部分がある。しかし、他方、《証拠省略》によれば、原告は、昭和四七年五月亡甲野四郎死亡後間もなくして、甲野一夫に対し、自ら被告会社の業務執行に携わる意思がある旨話したが、乙山との間では直接何らの話合いをもつこともないまま、被告会社の取引銀行である戊田銀行甲山支店に赴いて、被告会社の届出印の改印のための手続を問い合せたところ、乙山は、原告の右のような行動について聞知して、原告が被告会社の代表者として行動しようとしているものと解し、同年六月九日頃、代理人弁護士山田至、同野口国雄作成の書面により、現職の検察官である原告が被告会社代表者として行動することは法律上妥当でなく、爾後は、乙山が同会社の代表社員として業務を執行し、甲野一夫に一切の事務を取り行なわせる旨通告したが、原告は、これに何ら回答することもなく、また、検察官を辞職することもなく、前記のとおり推移したことが認められるのであり、以上の事実によれば、原告は、他の一名の社員である乙山との間で何ら協議をもつこともなく、独断で被告会社印の改印手続の照会を行なったため、乙山の右のような誤解を招いたものであり、その後も原告が右のような誤解を解き、自己の真意を明らかにするため、乙山との間で話合い等をもつ努力をした形跡も認められないのであるから、右の経緯をもって、原告が検察官を辞職のうえ、被告会社の業務執行に携わることについて、乙山が反対し、相互に重大な意見の対立が生じるに至ったものとはいい難い。そして、昭和四七年五月以降、原告が検察官を辞職することなく推移した以上、原告が被告会社の業務執行に携わることは実際上不可能であったのであるから、他の一名の社員である乙山が被告会社を代表して業務執行に当ることになったのは、自然のなりゆきであったといわなければならない。

2  《証拠省略》によれば、原告は、検察官を辞職する前である昭和五一年から昭和五二年頃、乙山に対し被告会社を解散すべき旨主張したが、結局、乙山はこれに同意しなかったことが認められる。

ところで、《証拠省略》によっても、原告が乙山に対し、具体的にいかなる理由を示して被告会社の解散を主張したのかということについては明らかではない。《証拠省略》によれば、その当時、原告は仲の悪い二名の社員で構成する被告会社の発展は望めないこと、甲野一夫の独断的な経営体制を改め、同人を会社から排除する必要があること、そのためには被告会社を解散し、新会社を設立して被告会社の営業を引継ぐこととしたいことを考慮していた旨供述する。しかし、前記認定のとおり、原告が検察官在職中は、原告と乙山との間に被告会社の経営について格別目立った意見の対立があったとは認められず、また、原告が被告会社の業務執行に当ることが実際上不可能であった結果、乙山が代表社員として業務執行を担当し、これを甲野一夫に委任することは、被告会社においてはやむを得ない業務体制であったというべきであるから、これを不当とする原告の見解は、被告会社の現実の経営の経緯から離れた合理性に乏しい主観的な見解であるといわざるを得ない。そして、《証拠省略》によれば、原告は、被告会社設立当時に、原告の伯父に当る亡甲野二郎らが、当時未成年者であった原告の後見人に就任したうえ、その地位を利用して恣いままに、原告が家督相続により取得した資産のほか亡父甲野太郎の酒造業の営業権を、被告会社の資産とするとの名目のもとに侵奪したもので、そのようにしてなされた被告会社の設立自体が不当なものであると考えていたうえ、終戦後復員した際には被告会社の経営に自ら参画することを希望したのに、亡甲野二郎らによって事実上排斥されたとして、被告会社の存続、経営体制自体に強い不満を有していたもので、前記の如く被告会社の解散を求める原告の主張の根底には、乙山および甲野一夫の実際の業務執行の当否とは別に、右の如く原告自身の強い不満の感情が存在していたと認められる。

3  原告は、昭和五二年一一月一日、検察官を辞職後、自ら被告会社の業務執行に当ろうとしたが、乙山および甲野一夫は、原告に対し被告会社の業務内容を秘匿し、原告の業務執行を妨害しているうえ、乙山は、却って原告の退社を主張し、昭和五九年一月一七日本件訴に対抗する手段として社員除名の訴を提起し、被告会社の解散を容認している旨主張する。

そこで、検討すると、《証拠省略》によれば、乙山および甲野一夫は、原告が前記のとおり検察官を辞職後も、社員総会には原告の出席を求めたものの、被告会社の帳簿類等日常の経営内容を知るに必要な資料を原告に開示するには極めて消極的であったことが認められるが、他方、原告においても、右辞職後、被告会社の業務執行に自ら携わろうとするに当って、従来被告会社の経営に従事してきた乙山および甲野一夫との間で、被告会社の経営についてあらかじめ十分に話合い、相互の意思の疎通を図り、同人らと協調しようと努めたという形跡も認め難い。そして、《証拠省略》によれば、現在、原告と乙山との間の感情的対立は激しく、相互間に信頼関係を形成することは著しく困難な状態に陥っており、乙山においても、当裁判所に原告の社員除名を求める訴を提起するに至っている(当裁判所に顕著な事実である。なお、被告会社の如く二名の社員のうちの一名の社員が他方の社員の除名を求める訴を提起したとしても、当然には会社の解散を容認し、それを前提としているものと解すべきことにはならない。)ことが明らかに認められるのであるが、右のような対立、相互不信の原因は、主として原告側にあるといわなければならない。けだし、原告は、前記認定のとおり、検察官を辞職する以前に、乙山に対し被告会社の解散を主張し、現に被告会社の業務に従事している甲野一夫を会社から排除することを企図したことがあるのであるから、その後、前記のように自ら被告会社の社員として業務執行に当ろうと考えたのであれば、あらかじめ乙山および甲野一夫に対し率直に自己の経営参画の意図を明らかにしたうえ、被告会社の業務執行における相互の役割分担等について十分に協議を尽くすなどして、前記の如く被告会社の解散を主張したことによる乙山および甲野一夫の原告に対する不信を払拭し、同人らと協調する努力をすべきであったというべきであるが、本件全証拠を精査しても、原告が誠実に乙山らと話合い、協調する努力をしたと認めうる証拠はなく、また、乙山らにおいて殊更に原告との話合いを拒絶し、原告を排斥しようとしたと認めうる証拠もないのであり(乙山が前記のように原告に対し社員除名の訴を提起したのは、原告も自認するとおり、本件訴提起後にこれに対抗するためになしたものにすぎない。)、原告が前記のとおり被告会社の設立の経緯自体を不当と考え、被告会社の業務に従事してきた乙山および甲野一夫に対し非合理的な悪感情を抱いていたことをも考慮すると、原告が検察官を辞職後、真に乙山らと協調して被告会社の経営に当ろうとする意思を有していたか否か甚だ疑問とせざるを得ないのであって、結局は、右に述べたような協調の努力を尽くさなかった原告自身に主として前記不和対立の原因があると認めざるを得ないからである。

なお、本件全証拠を精査しても、乙山および甲野一夫が従来被告会社の利益を損ない、その経営を危うくするような不当な行為をしたことを認めうる証拠もない。

4  以上のとおりの諸事情を総合的に考慮すると、現在、被告会社の社員である原告と乙山との間に信頼関係を形成し、両者の協力により円滑に被告会社を運営することが著しく困難であることは明らかであるが、しかし、右のような原告と乙山との不和、対立の原因が主として原告自身にあると認められるうえ、従来被告会社が実質的に乙山および甲野一夫により運営されてきた経緯を考慮すると、このような場合においては、原告が乙山と協調して被告会社の経営に当る意思を有していない以上、自ら退社して、持分の払戻しを受けることによって被告会社との関係を清算すべきであり、そのような解決方法がある以上(なお、《証拠省略》によれば、乙山は被告会社社員として原告に対し退社による持分の払戻しを履行する意思を有していることが認められ、かつ、その履行が不可能であるとは証拠上認められない。)、被告会社を解散すべきやむを得ない事由があると解することはできない。

四  以上に述べたとおり、被告会社について、商法一一二条所定の解散を命ずべき事由があるとは認め難いので、原告の請求は失当として棄却すべきである。

よって、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 多田元)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例